「海燕社の小さな映画会2016 1月会」
(2016.1.24 沖縄県立博物館・美術館講座室 14:30~16:15)
〈上映作品〉
『イヨマンテ ~熊送り』
(製作:民族文化映像研究所/1977年/103分/自主製作 北海道沙流郡平取町二風谷)
日本映画ペンクラブ推薦/1989年第3回イタリア・フェルモ国際北極圏映画祭「人類の遺産」賞/1991年第5回エストリア・ベルノー国際映像人類学祭最高科学ドキュメンタリー賞
〈プログラム〉
1.受付
2.はじめの挨拶
3.『イヨマンテ ~熊送り』上映
4.意見交換・おわりの挨拶
5.アンケート回収
〈お客様の感想>※アンケートより
一度の祭りに身の回りのほとんどの神様に祈りを捧げる姿に
びっくりした。やはり自然が厳しいから沖縄のように何度も祭祀を
行うことが難しいからなのだろうか?
またイザイホーと同じくイヨマンテも今は消えてしまっているのでは
ないかという推測がされました。〈女性30代〉
「アイヌの考え方が結集している」という発言の通りだと思いました。
祭り、行事がやはりその中身よりも皆で集まって何かをするということ
自体が大切なんだろうととても感じました。
細部のバージョンアップが必要であると思いますし
現代においてHIPHOPや音楽イベントに人が集まることを考えると
(そこではマリファナか同性愛バッシングなどある考え方の共有もみられます。)
楽しさや刺激を上手に取り入れていくことで「コミユニティ」を保つ
技術の継承が出来ると思っています。
資本主義の搾取システムに対して、対抗するそれのヒントに
かならずなると私は思います。〈男性30代〉
準備段階と儀式を含めて神への感謝と共に生活していく上での知恵の伝承も
コミュニティーの維持も行われていたのではないかと思いました。
先祖とのつながり、儀式を行うことで
先祖との会話ができる機会でもあると感じました。〈女性30代〉
イヨマンテをインターネットで知りみたいと思ったが
不定期に全国で点々とした上映。すでに2015年は鎌倉上映会が終了しており、
上映会を探していた。
沖縄で上映することをインターネットで知り東京から参加しました。(やっと見ることができました)
熊送りのために殺熊するのだが、非常に熊の命を大切に扱っていると思いました。
本来、残酷な所のある儀式であると思われるが、映像では残酷にならないよう、上手にソフトに
仕上がっていると思った。〈男性50代〉
すばらしい記録でした!
民俗の中で大切にされているものを若い人たちが引き継ごうという気概が
感じられこみあげてくるものがありました。
海燕社さんには沖縄の失われつつある文化伝承を撮り続けていただければと思います。
(前回アイヌ刺繍を体験したので衣装にも興味深かったです)
道具の実物展示もあったら更に嬉しいです。ありがとうございました。〈女性40代〉
大変貴重なフィルムを提供頂き有難うございました!
ドキュメンタリーが好きで映画、テレビを鑑賞してますが
久しぶりに感激しました。
沖縄の祭り儀式に通じることが多くみられ嬉しかった(火の神、等)。〈男性60代〉
寒い中で人々が命を大切にあつかうことで
伝えたい何かがあると思います。〈女性60代〉
大変貴重な映像をありがとうございました。
今日は来て良かったです。
記録に残すことが良いか悪いかはけっこう難しい問題だと思うのですが
イヨマンテの儀式は、これがこの世の中に形式として残る運命になったのを
確認した気持ちです。
消えてしまってはいけない大切なスピリットはあると思います。〈男性50代〉
イヨマンテの意味を初めて知りました。
ある意味ショックでもありました。
熊をはじめとした狩りに頼る生活の中でそれに対する感謝の祭りということを知りました。
自然と生きることの大変さを感じました。
それと残すべき伝統文化とそうでない文化があると思いました。
この祭りは果たして残すべきだろうか、と。〈男性60代〉
アイヌと自然の恵みとの関係が垣間見られた儀式の再現であった。〈男性60代〉
私は昨年8月にこの舞台となった二風谷に行く機会がありました。
そちらでアイヌの文化生活が自然と共存しながら生きてきたことを肌で感じとても感動して帰ってきました。それで、これからはアイヌを意識していきたいと思ってのこの映画の上映があり、今回は見ることができてとてもよかったです。ますます、アイヌの方々が自然を愛して生き物を大切にしていることがよくわかりました。上映、ありがとうございました。〈女性50代〉
人間が自然の中で自然に生きるということを感じ考えました。
他の生物に優先するものではなく、すべての生物を崇える祭りだと思います。〈女性60代〉
食べる事、生きる事、命を考える映画だと思います。
アイヌの人々の伝統から学ぶべき事が多いにあるのだと感じた。〈男性40代〉
アイヌの事は昔から聞いていて、アイヌ民族芸能を見た事もありましたが、
映画を観る中ではもっと前史的な人達と思ってたけれど、文化が奥深いし、美意識が高いし、作法もとても丁寧で感心しました。
そして、それが裏付けしているのは、神や自然に対する深い思想だと感じられました。すでに39年前としたら、今現在はどうなっているのかを知りたい。〈女性30代〉
北海道で熊が神であった理由を今回の映画を観て知ることができました。(毛皮、肉など)
人がその存在を大事に思わなくなった時に恩恵を受け取ることができなくなり、文化が
失われていくように感じました。ありがとうございました。〈女性30代〉
とても貴重な映像をありがとうございました。
全く同じように保存していくことよりもそういったコトがあった事、
そして現代に生きることも形が変わっても伝えることが大事だと思います。〈女性20代〉
アイヌの豊かな世界観を垣間見ることができて良かったです。
イヨマンテにしてもイザイホウにしても一般の者が祭祀全般に関わって
行事を通してみることは難しいので、再現映像であってもその文化の精神性を伝えるという意味では
貴重な記録であると思った。沖縄においても多くの大切な祭祀が失われようとしている現在
地味ではあるがこうした仕事やこの映画会のような企画は大切な意味をもっているはずです。
今後も期待しています。〈男性50代〉
とてもステキなものを見させて頂きました。
命のあつかいと言いますか、とてもそれが丁寧であり、
本来の人との向き合い方なのかなと思いました。〈女性30代〉
アイヌの熊送りについて以前から興味があったので見ることができて良かったです。
自然に畏敬をはらい動物を神としてとても大切にまつっている姿をみてうらやましく感じました。
現代は環境も変わりこのままの姿で儀式を行うことが難しいと思いますが
続けていく残していくということが出来なくてもアイヌの人々の思想を理解し忘れないでおきたいです。
とても楽しめました。ありがとうございました。〈女性30代〉
文化というものがどういう風に定義すればいいのかよくわからないのですが、文化は流動的で全くおなじようなものは残せないなぁ~と思いました。現代の私たちの世代で外に開かれていて(インターネットや簡単に内地や海外にも行けて住む場所とかも選択肢が広い中で)行事は残せてもその中の個人の侵攻とかまで入り込めない。イザイホウは気味が悪くて目が離せなくて鳥肌が立ちました。祭り事をしていることには共通しているのですが、今回のイヨマンテではそういったことはなかったです。ただ、熊が殺される時はドキドキざわっときました。今回のイヨマンテとイザイホウを連続でみて思ったのはやっぱり、再現している映像と本物の映像とは違うもので、違う目的でどちらもいいと思いました。文化が変って行くときを撮るのもとても重要だと思いました。(そういう意味ではイザイホウは両方ですね!すごい)昨年イザイホウがとても話題になったのも、目に見えない何かやそれに沿った生活が心地よかったのかそういう事を無意識のうちに心のどこかで人々が欲しているのかな~と思いました。 〈女性20代〉
熊に花矢を射るシーンから夜のシーンへのスムーズなカットつなぎが非常に印象的でした。
というのも、花矢のシーンは昼間であり、その次への夜のシーンの間に何があったのだろうととても思った。伝統を残していく、残していかない、というところには、私はやはり必然性というものがいるのではないかと思う。不要なものは消えて行く。これは紛れもない事である。消えて行ったところにぽかりとあく穴はどうするか。ここに都市画一化された「文化」が流入するか、新しくも古い流れをくんだものができるか、それは伝統を担っていた人々の考え方によるのではないか。〈男性20代〉
このような記録的な映画はなかなか見る機会がないと思います。
今後もできる限りこのような場を作って頂きたいと思うます。〈女性50代〉
最初は、熊がかわいそうに思え、残酷なまつりであるように感じました。
しかし映画の中でもあったように、ピストルなどで簡単に殺される動物が多い中で
こうして神としてあがめられ死んでいった熊は幸せなのでは?と思ったり
しかしそれは人間の単なるエゴに過ぎないのでは?とも思ったり。
一言では感想を言い表せないドキュメンタリーでした。〈女性30代〉
〈海燕社の感想>
この映画は、祭りや神事の伝承ということの難しさを如実にあらわしておりため息が出るほどである。
この映画「イヨマンテ」はほんとうの祭りを撮ったのではない。今は消滅した伝統の祭・イヨマンテをなんとか後世に残したいと往時の体験者に学びながら村民全員で懸命に行った祭り(あえて再現ではない)とそんな人々を撮ったものである。最初みた時、対話形式の解説が好きではなかった。しかし、今はこのような作品の性質上、このような表現方式をとらざるを得なかったのだと理解している。。また、熊を殺し、解体するシーンに違和感を覚えた方もいたようだが、それはこのイヨマンテが自然体の祭りではなかった故であろう。この祭りが暮しのなかから紡ぎ出されたホンモノの祭りであったなら、熊を殺し、丁寧に解体するシーンは感動を持って受け取られただろう。そのベースが失われた今、祭や神事のいい形での伝承は本当に難しいと思う。不可能に近いと思うのである。 野村岳也
「かわいそう」と思わずつぶやいた。「イヨマンテ」の社内試写のこと。熊が矢で殺された時、臓器を切り取られた時、祭壇に飾られるまでの間、心の中でずっと思っていた。この映画をずっと観たかった。この上映を最も切望していた。自然が好きだ。山伏に憧れ、山の暮らし海の暮らしに関心があった。その私がまさかの拒否反応。「かわいそう」の言葉に私自身がもっとも驚いた。熊の死と命がどうしても心に引っかかかった。試写後ただ冷めた感情がポカンとあった。私は「イヨマンテ」をみたのか?と自分に聞いていた。悲しかった。熊に、この映像に映し出されたイヨマンテに。なぜ熊を殺すのかと。なぜ熊は殺されたのか。記録を残すために、祭りを伝えるために、本当に熊の死は必要だったのか。しかし、この作品の最大の山場はこのくだりだ。ここは絶対に外せない。私ならどうするだろう。私がアイヌなら、演出なら、どうしたのだろう。熊を殺したのか。そして撮るのか。別の方法を選ぶのか…。考えていくうちに、この迷い迷う感情は前半の映像からもたらされたものだと気づいた。作品の序盤、アイヌの人たちが祭りにむかっていく姿があった。祭りのために、山で木を探し、切り、運ぶ。雪世界に立つ素朴な小屋。祭壇飾りを作るため木を削る。厳かな時間。白い木肌の美しさ。艶。白い雪と白い飾り。イザイホウの白い衣を想った。神々しい白にイヨマンテの命を感じた。黙々となされる工作に、イ(それを)オマンテ(返す)をみた気がして嬉しかった。だから、だからこそ、熊の死が熊の命がこのイヨマンテに必要だったとは思えない。「型」どおりに熊を死なせたために文字通り「型」で終わってしまった。心の中が落ち着かないままで映画会当日を迎えた。上映終了後、意見交換で「スピリット」という言葉で感想を述べた方がいて、私がみたくてみれなかったのは「スピリット」なのだとハッキリわかった。私がみたのは「スピリット」らしきものだったと。「型」をさしだしただけでは足りない。伝えたい残したいもの、うつらないもの、大事なものをどうすれば…。記録映像って、ドキュメンタリーて、映画って、何だろう。 考えてしまう。 城間あさみ
前回上映した「イザイホー 1990年」、今回の「イヨマンテ」、共通して、民俗文化映像研究所の作品はわかりやすいと思った。姫田さんとアイヌの研究者とのかけあいで映像を丁寧に解説していたが、昔の人気テレビ番組「兼高かおる世界の旅」のようだと思った。イヨマンテの最大の見せ場、熊を殺し解体し祭壇に飾るところは、個人的なことだが、血が苦手なため、正直きつかった。しかし、この祭りの主人公は熊なので、なくてはならない場面であり、映像に残すことは価値があると思う。イヨマンテが再現だったのは残念だったが、とても貴重な映像だと思う。 この作品のおかげでイヨマンテはもちろんアイヌの文化に触れることが出来たことは意義深かった。 澤岻健
※ 「海燕社の小さな映画会2016.1月会」にご来場くださいましたみなさんへ
心より御礼申し上げます。雨の中、ご来場、ありがとうございました。
作品を提供下さいました民族文化映像研究所に感謝申し上げます。ありがとうございました。
沖縄県立博物館・美術館さん大変お世話になりました。ありがとうございました。
宣伝告知にご協力くださいました新聞テレビマスコミのみなさん、ありがとうございました。
ツイッターなどで応援して下さいましたみなさん、ありがとうございました。
沢山のみなさんがアンケートにご協力下さいました。ありがとうございました。
アンケートでは他にも運営や進行について貴重なアドバイスも頂きました。
次回の上映会に生かしていきたいと思います。
みなさんおひとりおひとりに心をこめて感謝申し上げます。
海燕社